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  Johnny Appleseed American Hero
  (アメリカンヒーロー ジョニー・アップルシード・・・りんごの木を植えた男)
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このトピックスは、コレクター諸氏にご自分の思い入れ深い逸品やご自慢のアイテム
をそれに纏わるエピソードや逸話を交えて解説していただくコーナーである。
当初は月一回のペースで水弘氏、家高氏、ご両人のアイテムを中心に紹介する予定で
あるが、ノリタケのコレクターや愛好家であれば誰でも掲載は自由なものとしたい。

●Johnny Appleseed American Hero
   (アメリカンヒーロー ジョニー・アップルシード・・・りんごの木を植えた男)

ジョニー・アップルシードのモールドプラークを初めて見たのは、ペンシルバニアの小さな町のコレクターのリビングルームだった。3年前1人でロス、ニューヨーク、ペンシルバニアのコレクターを訪ねて歩いた。ロス、ニューヨークでは至れり尽せりの歓待を受けたが、 ニューヨークから7時間かかりようやく辿り着いた ペンシルバニアのコレクターは無愛想な男だった。彼のオフィスにあった15,6点のアイテムは素晴らしいと言える物はなにもなかった。 

  「ディラーか?」 という彼の問いにNOと答えると彼は私に興味を失ったように見えた。ここに来た事を後悔し始めた頃”これからトワイライトで ゴルフでもやらないか”と誘われ、迷ったあげくオーケーした。1番でトリプル、2番でダブルボギーをたたいた私が3番の長いミドルで寄せワンのパー、4番のロングで2m位のバーディパットを外して以降、 無口だった彼が少しづつコースのアドバイスをしてくれるようになった。13番の143ヤードの池越えのショートホール。「俺はこのホールが一番苦手なんだ、8番では短く、7番では大きすぎる。」と肩をすくめて迷った挙句8番で打った軽いドローボールはピンに向かったが、あと僅か30cmほど足りず水飛沫が上がった。私はグリーンの左サイドを狙い7番 アイアンで軽くスライスを打ったがやはり同じくらい足りず水飛沫が上がった。グリーンのそばまで行ったとき、 「おい見ろよ俺達は相性が良いらしいな。」大きな身体を揺らして彼は初めて子供のように笑った。我々の打ったボールは池の縁から手の届く所に2つ仲良く寄り添うように並んでいた。

日が暮れ15番ホールの途中でプレーを切り上げ、 彼は遠慮する私をなかば強引に自宅に招待してくれた。突然の日本人の訪問にとまどった彼の奥さんは 冷蔵庫から10種類くらいの冷凍食品を袋ごと持って来て見せてくれた。食後、リビングルームにはオフィスのものとは桁違いのコレクションがあった。暖炉の上には20インチ近いペアーの飾り壷が並び、3つある背の高いキャビネットには数々の貴重なコレクションがあったが、私が最も心を奪われたのは壁に掛けられた9枚のモールドプラークだった。10インチハーフの8枚の真ん中に12インチの大きなジョニー・アップルシードのプラークが配置され、天井からのスポットライトとやわらかなサイド照明でレリーフがくっきり浮び上がり、幻想的な空間を創りだしていた。ジョニー・アップルシード?と私が指を指すと、彼は「ここのそしてアメリカのヒーローだ」と答えた。なぜ?と聞いた私に、「あなたが今度ここにいらした時に私のアップルパイを食べれば分かるわよ。」とロックグラスを持って来てくれた奥さんがかわって答えた。「アメリカを象徴するのは、ハンバーガーではない。ホットドック、アップルパイ、そしてベースボールだ。」とロックグラスにバーボンを注ぎながら彼は静かに、しかし誇り高く答えた。 

  ★ジョニー・アップルシード

本名ジョン・チャップマン(1774−1845)
アメリカの開拓時代,マサチューセッツに生まれ、裕福な家庭に生まれながらも全米各地(イリノイ、インディアナ、ケンタッキー、ペンシルバニア、オハイオ)で着の身着のままで、私欲を持たずリンゴの栽培を普及したことで知られる伝説的人物。先住民族のインディアンや開拓移民からも信頼が厚く、彼はニュー・チャーチの伝道者でもあった。大西洋無着陸横断飛行で知られるリンドバーグの娘、リーブ・リンドバーグが書いた詩をもとにキャシー・ジェイコブセンが絵を描いた絵本でも良く知られている。





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